とても深いグリーン

推しがみんな緑担当。書きたいことを書きたいときに。徒然なるままに。

アイドルとファンの適切な距離感って何なんだろうねって話。

 

ここ数年(コロナ禍に入ったあたりから)「推し活」が一つの文化として浸透してきたなっていうのは感じていたのですが、最近その広すぎる定義にモヤモヤしています。

 

 

職場や新しいコミュニティなどでの話題の一つとして取り上げやすい点や、みんながそれぞれ好きなものを恥ずかしがらずオープンにできるようになった点に関しては良いな〜と思うのですが、「推し」がいない人から見た「推し」という概念と、実際に推しに全力な人間の「推し」という言葉の捉え方って大きく異なると思うんですよ。

 

そんな2文字にまとめられるほどの熱量じゃないんですよ!って。

 

推しのために仕事も日々の生活も頑張れるし、推しにとってファンの存在が多少パワーになっているんだなと感じられる瞬間や言葉があるんですよね。

実際その関係性ってめちゃくちゃ強固なようで実は結構脆いのですが(些細なことで崩れるので)それも含めて儚くて美しい関係だと思うんですよ。

 

 

あと、最近界隈がざわついているのもあって推しに対する自分のスタンスをよく考えるようになりました。

私自身は以前からアイドルの応援をするときに自分の中のルールを作っていて、それ自体は大きく変化することもないです。

 

ずっと共通して決めているのはこれ。

 

「推しに対して文句や要望ばかり言うようになったら終わりにする」

「嫌いになるくらいならその前に自分から離れる。」

「最後は絶対に綺麗な思い出として心の宝箱にしまう。」

「私の人生に彩りを添えてくれたことに対して感謝の気持ちを忘れない。」

 

この4つです。

 

最近は視聴者投票型のオーディション番組が増えたのもあって、みんな推しのことを過度に批評したり、グループが増えたことで他のアーティストに対してリスペクトに欠けた投稿が増えた印象があります。何だか立場が【アイドル<ファン】になってしまって、それもそれで歪な関係だなって。人格否定している人間の人格などたかがしれているので、私はあまり見ないようにしているけれど。それでも目に入ることはあります。

 

そういう人に言いたいんですよね。嫌いになる前に離れた方がいいよって。

 

時間の経過とともに自分も推しもそれぞれ変わったりして、推し始めた時とは違う感じ方をすることも十分あり得ることだと思うんです。だから、元々好きだ〜!って思っていた人(たち)を斜めからしか見られなくなった時点で適当な距離感ではないのだと自覚し、距離感を再考するタイミングとして捉えるのはどうかなって。だって好きだった人を悪く言うのって悲しいじゃないですか。長所と短所は表裏一体。色々知っている(気になっている)からこそ、傷つける材料だって揃っています。推していた過去を傷つける武器にするのは自分もすり減るから。

 

相手がアイドルだろうが友人だろうが家族だろうが、他人に対して強すぎる支配欲を振りかざしている人が増えたと感じるのはSNSが発達しすぎたせいなのかな。ネガティブには人が集るし、いいねの分だけ自己顕示欲と承認欲求が膨れ上がって、それでしか満たされない種族が大量に発生しているように感じます。対象は何でもいいんだろうけど。Xは早く引用RPの機能を廃止してほしいです(笑)どこもかしこも地獄なので(笑)

 

 

 

な〜んてことを考えながら積み上がったCDを断捨離中(笑)

今まで複数買いのCDは誰かにあげるかも!と思って大事に保管していたのですが、

部屋が狭いからCDの置き場所がないので...しゃーなしです。

そろそろカムバ来そうでワクワク!推しも頑張っていることでしょう!

連休前の繁忙期もあと数日で山場を迎えます。

落ち着いた頃に現場もあるし、がんばるぞ〜〜〜!!!

 

 

 

おしまい。