とても深いグリーン

推しがみんな緑担当。書きたいことを書きたいときに。徒然なるままに。

なぜ働くことに囚われているのか問題。

 

結局また就活を始めた。

5月に4年弱勤めた会社を退職し、7月に新しい会社に就職。

 

紆余曲折あり1ヶ月で退社することになったわけだけど、25歳で3社経験していてもうキャリア的にも終わっているし少し勉強期間を設けてみるか〜と考えていたけれど、趣味には繋がるけれど仕事に繋げたくなるほど学びたいこともないし、それに何十万もかけるのってめちゃくちゃ勿体無いなと。しかも推しの供給は止まらないし(結局そこw)

 

何だかんだで退職してもう1ヶ月半が経ってしまうし、空白期間があればあるほど焦りが生まれてしまう。多分私はニートに向いていないのかも。この間前職(歴長い方)の同い年の後輩から急遽ランチに誘われて1ヶ月ぶりに長話をしたら、どんどん自分の考えが整理されてきた実感があった。

もしかしたら私は集団に所属するのが向いていないのかも?とか、いっそ自分で何かビジネスでも始めてみるか?とか今流行りの副業的なことを本業にして本気で金儲けしてみるか?とか考えたこともあったけど、そもそも数字を追いかける営業が向いていない自分ができるわけもなく。だから後方支援的な事務職やってたんじゃん!と気づいた。

 

例えば、コンサート会場に子どもを預けるスペースを提供したいとか、自分のアイデアを形にする仕事をしたいとか色々考えれば興味のかけらは出てくるのだけど、如何せん規模がでかい。現実的なところまで持っていくには私には知識も資金もない。となると、一旦種銭を稼ぐ必要があるわけで。

 

在宅で出来るパート的な事務作業もいいな〜とは思いつつ、組織に所属しておきながら福利厚生面で保証がないのは割りに合わなくない?という気持ちもあって。

何もしていない自分が嫌になるのなら就職活動だけでもしてみようかなと。実際働くかは別として、元々1年くらいはおやすみしてもいいと思っていたし、そのくらいの適当さでやってみるのもいいのかも。いつも全力でやり過ぎてたけど、周りに話すと頑張り過ぎと言われる。一回この100%を求められているのに120%で返そうとしてしまう性格を変えたい。

 

 

というかなんでこんなにも働くことに執着するのだろう。

社会に対して何か役割を果たしているかどうかに囚われ過ぎてしまうのはなぜだろう。

誰に対して後ろめたいんだろう。

何に対する劣等感なのだろう。

 

 

生きてるだけでお金がかかるなら、生きてるだけでお金欲しい。

 

 

 

おしまい。