先日オタ活に関しての振り返りブログを上げました。
今回は仕事や普段の生活に注目して振り返っていきたいと思います。
かなり変化の大きい一年だったのでカロリー高めではあったのですが、揺らぎが大きすぎてきつかったのと、しんどい記憶が時間の経過と共に薄れていくので当時のブログを読むことでその記憶が蘇ってくるのが懸念点。言葉にするのがなかなか難しいなと思います。オタ活編よりもかなりあっさりしそうです。
1月
転職エージェントと初めて面談をする
毎年年が明けると転職したくなるのですが、今年も例に漏れず転職欲を満たすために動きました。今までは転職サイトを覗いて満足していたのですが、今年の私は転職エージェントさんとコンタクトをとって初めて面談をしました。ジェイテックというエージェント会社でしたが、結果としては事務方の求人は大した事なかったです。
在籍している会社の不満点や、改善させたい点、譲れないポイントを1時間かけて会話したのにも関わらず、そのポイントを全く押さえていない求人しか紹介されなくて。結局そこでは1社も応募せずに終わりました。
本当にエージェント選びは運ですね。事務職は有効求人倍率もえぐいことになっているので特に。ちなみにこのエージェントさんとは2月中ばまで面談なり添削なり色々やりとりを続けました。ただ働きさせて申し訳なかったとも思います。ごめんねぇ。
2月
職場に退職意思を伝える
ちょうど1月末あたりに同僚の産休予定が発表され、それに伴う仕事の割り振りが再編成されました。その内容がまぁひどくて。元々締切のあるものを多く振られていたので休みにくかったのですが、今後取りたい時期には確実に有給が取れないことが確定した一方、やらない人の余白はそのままなのが理解できず(もちろん給料据え置き、ボーナスは勤続年数による)転職先を決める前に辞める手続きだけ進めていこうと決意しました。
元々縁故入社だったので紹介元である父に辞めたいと言い出せず、上司に伝える前日にようやく打ち明けました。実情とそれまでに受けた上司達からのいじめに近いイビリやセクハラ、モラハラ、パワハラの内容を全てぶちまけたのですが、私より先に姉が号泣。父からすると辞めないといけないの?みたいな感じだったみたいですが、若者の価値観からするととんでもないブラック企業の側面があることが伝わったようでなんとか承諾をもらました。
「立つ鳥跡を濁さず」をテーマに掲げてなんとか綺麗に、残される人にも迷惑がかからないように一生懸命準備をしたのを覚えています。
結局年度末で辞めるつもりが、転職活動や通院などで好きな時に休みをとっていいことを条件に、5月末まで引き伸ばしに遭いました。本来有給は個人の意思で自由に取れるものなのでおかしな話なのですが、WESTのツアーもあったしINIのリリースもあったので甘んじて受け入れました。
3月〜4月
職場の人間関係のフォローを頑張った月
私の勤めていた職場は元々年齢層が高く、私が入社して1年経ったあたりから若年層を多く採用するようになりました。退社前にそれぞれ横の繋がりが薄く、相談まではいかなくとも何でもない話や困ったことがあった時にちょっと声を掛け合えるような最低限の繋がりだけ作って辞めたいな〜と思っていました。
週末や仕事終わりに個別に飲みに行ったり遊びに行ったりして職場内の困りごとを聞いてみたり、私からみた同僚のいいところを伝えてみたり。自己満足ではあるのですが、私は同期が1人いただけでかなり救われたので何かしてあげたかったんですよね。いらないと思ったらそのコネクションを放棄すればいいだけなので。選択肢は多い方がいいし。
上からの圧がすごい分、下の子達で結託しないと耐えられないのは悲しいですけどね。
5月
有休消化期間スタート!!
この1ヶ月は転職活動をゆるーく始めつつ、WEST.とINIの推し活に時間と労力を捧げていました。
友達とご飯に行ったり、初めてキッチンカーで1日お手伝いをさせてもらったりと有意義に使えた気がしています。
6月
転職エージェントさんとのやりとりスタート
2023年2度目のエージェントさんとのやりとり。2度目は会社を変更してリクルートエージェントさんを利用しました。個人的には結構相性が良かったです。面談内容も添削の仕方も文章の作り方も自己PRの作り方もめっちゃ満足度高かったです。これは会社というより個人のスペックの問題かもですが。
6月には何社かWeb面接を受けて、無事に内定もいただくことができました。
この時はまだうまくいくと信じていました。
7月〜8月
新しい職場に入社・そして撃沈
細かいことは過去記事を。
なんか多分7月後半から8月上旬までは余裕がなさすぎてブログに気持ちを書けなかったんだと思います。何でもノートには日替わりのカラーペンでバーーーっと書いてありました。それが数日続いていたので、多分一応吐き出して何とか翌日を明るい気持ちで迎えようという意識だけはあったのだと思います。人生何事も経験やね。
9月〜11月
しっかりニートをする
同じタイミングで姉も仕事をやめたので、2人でニートしてました。
一度折れた心って再び骨が繋がった後もまた折れるのではないかという恐怖がついて回るんですよね。その事実が頭から離れなくて、そして自分のボロボロの職歴にも耐えららなくて現実から目を背けていました。急かさなかったのか急かせなかったのかはわからないけど、何も言わずに接してくれていつも通りでいてくれて、働きもせずに毎日家にいることを許容してくれていた両親に感謝です。
この期間は専業主婦のように掃除洗濯食事の用意を全てやっていました。元々出来ない訳ではなかったけれど、生活力はこの1年でかなり向上したと思います。
12月
再スタートが決まる
姉が12月から社会復帰をしたことを受けて私も重い腰を上げました。
割と早い段階からまたリクルートエージェントさん(前回とは違う方)とやりとりをしていたものの、結局最後は自分で色々動いて内定をいただきました。履歴書や職務経歴書、面接対策はこの1年でかなり内容を整理できていたのでありがたかったです。場数踏むのも大事だなと。ちなみに面接に進む前に知っておいて欲しかったので職務経歴書に3社分の退職理由を明記しました。それでも会ってくれるという企業さんと出会いたかったからです。
結果、今年は通算で半年くらいしか働いていないので来年は無理をしない程度に社会人生活も楽しめたらいいなと思っています。
波乱万丈、浮き沈みの激しい1年でした。周りの環境や人間関係に感謝です。
2024年はどんな1年になるかな。楽しみです。
おしまい。